無題ドキュメント
大人の事情
「で?本名の久慈院琥珀がいいの?えっと、こっちの、長いな、ええっと琥珀・ディートリッヒ・フォーンリック?ああ、ご両親が国際結婚だからねえ。どっちも本名になるんだ。やっぱりそうなると、K・O・H・A・K・U かなあ?ビジュアル系で売り出すならね」
目の前のプロデューサーと名乗るオヤジは1人でしやべり続ける。
琥珀はいつもの癖で、無意識に膝を揺すっていた。こんな時、隣にシッカが居たら思い切り膝を叩かれるか、あの大きな瞳で睨まれるかなのだが、相変わらずオヤジの話は続く。
「ウゲエ~」
プロデューサーオヤジが去った後、琥珀は顔をしかめてうぜえと言いかけ、後ろに人の気配を感じ慌てて言葉を濁した。
振り向くと、彼をここに誘った雨池ディレクターが微笑んでいる。
「雨池さん。いつこっちに戻ったんすか?」
  札幌出身の雨池ディレクターは、こちらにある本社と札幌にある支社を行き来している。本人曰く、あまり都会が好きではないのと夏の暑さが耐えられないのとで、もっぱら支社に居る事が多い。
「久慈院君、元気そうだね。石村さんに捕まってたからいつどのタイミングで話しかけようかと思ったよ」
「はあ、芸名をどうしようかって言われて、別に俺、そんなことどうでもいいし。ビジュアル系って何すか?俺は曲で勝負したいんすよね」
「ううん。困ったね。石村さんはやり手だから、任せておけば大丈夫だと思ってたんだけどね。どうやら君を売り出す路線が、君の考えとは違うらしい」
「俺、アイドル目指してるわけじゃないっすもん」
「まあ、大人の事情ってやつだね。いきなり持ち歌で勝負するより、いわゆるアイドル路線で売り出しておいて、実は作曲も出来ますって言う意外性。石村さんはそこを狙ってるんじゃないかな?」
「意外性も何も俺は俺っすから。ただ自分の作った曲を歌うだけで何が悪いんっすか?」
                           
困ったね、と雨池ディレクターは呟き、琥珀の肩に手を置いて軽く叩きながら去って行った。
天使の梯子
「隠居生活じゃないんだから~。大体、昔っからゆねって老成してるって言うかあ。若さがないって言うか」
「まあ、まあ」
「琥珀も現実逃避してないで。いいこと!!これから魔のイベントシーズンに突入するから、うちは死ぬほど忙しくなるわけ。アンタ達ただ飯食らおうなんて妙な考え起こさないでよ。いる間はキッチリ働いてもらいますからね!!」
「コエッ~」
「・・・・怖い・・・」
そんなことを言いながらも、内心は凄く嬉しかった。
湧泉音と琥珀と私・・・・
子供の頃からずっと私達は一緒だった。
生まれる前、神様が向こう側で1つの魂を3つに分けたんじゃないかって思う位、私達はお互いに似ていたし、何より理解しあっていた。
だから、皆がバラバラの道を歩き始めた今でも、こうやって、ひとところに集まってしまう。
黒い砂鉄の中に強い磁石を入れたみたいに、それはとても強く確かなもの・・・・・
                    
気が付くと、琥珀は持ってきた電子ピアノを奏でている。
薄いハミングが密かに寄り添って、夕闇と共に消えていく。
ああ、私はこの時間が好きなんだ。
琥珀と湧泉音が神様から送られた2人なら、こうして側にいてずっと見ていたい。
あの日、天使の梯子をつたって確かに2人は降りてきた。
私は・・・・少し遅れて降りてきたんだろう。
2人を見失うまいとして、きっと慌てて降りてきたんだと思う。
その時、琥珀や湧泉音が持って降りた何かを私は置いてきてしまったのかもしれない。
それでもいい。
今はこうやって3人でいられること。それで幸せ。
もっとも、週末からかなり忙しくなるから、こんな時間もしばらくお預けなんだけど。
明日は、2人をとっておきの温泉に連れて行ってあげよう。
「腹減ったあ~名物のとり天食いたい!」
「冷麺も名物だって知ってる?」
「この間、メッチャ美味い餃子屋見つけたぜ!!」
       
「・・・・・・美味しい・・・ケーキ・・・・多い」
温泉道???
・・・・・・って、健気に思ってる従兄弟の私のもとに!!!
何で?何で、2人して転がり込んで来るわけ????
「もう~信じらんない!!湧泉音は夏休みだから、まだいいとして・・・
琥珀~!!何でアンタまで追っかけて来んのよ?デビュー真近なんでしょ?こんなとこでのんびりしてる場合じゃないじゃん!」
「シッカちゃあん。なんでそう冷たいわけ?アーティストには休みも必要なんだよ。いわゆる、クールダウンってやつ!」
「ゆね!何とか言ってやってよお~」
「ユネ、温泉巡りしようぜ!お前の能書きを聞きながら、おっ?ここの温泉、メッチャ肌すべすべになんじゃん??メタボ?んん~メタなんとかがいいんだよなあとか言いながらさあ。で、シッカは案内役な!!」
「・・・・メタケイ酸・・・・美肌効果・・・」
「・・・・・・・・」
                              
湧泉音のパパが温泉好きなせいで、気が付いたら湯泉音もすっかりはまってしまっている。
別府は100m歩けば違う泉質だと言われる位、温泉の種類が豊富なのだ。私も知らなかったけれど、確かにこちらにきて体調がいい。
何より肌のきめが細かくなった気がする。
だけど、湧泉音のはまりかたときたら。
「・・・・・・・・・彫刻・・・肉体労働・・肩凝る・・腰痛い・・・」
「ゆねさん。最近は創作活動してませんでしたよね?」
「・・・・・こっちで・・・温泉入る・・・・楽・・・」
「で?湯治にきた年寄じゃあるまいし」
「・・・・・前は・・・首下・・・石・・・・みたい・・・感じ・・・」
「だからって、日に3回は入り過ぎだろ!!」
「・・・・気持ち・・・いい・・・」
「朝から風呂桶持って通う近所の年寄と変わらないじゃん!!」
「・・・・・ごめん・・・・・」
湧泉音がこちらに来て以来、何度繰り返した会話だろう?終いには、温泉案内本を片手に効能を片っ端から試して回る始末。
2人の歌
                           
「ゆねパパって近寄りがたいイメージがあるけど、そんなに分からず屋でもないと思うけどなあ」
「・・・・・シッカや琥珀には優しい・・・・・特に琥珀は・・・・」
「琥珀は?」
「・・・・・音楽の才能・・・・あるから・・・・・」
「そりゃ、琥珀は将来作曲家?って回りの大人が期待するくらい、小さい時からピアノのセンス抜群だけど」
だけど・・・湧泉音。貴方は覚えてないよね。
うんと小さい頃、おもちゃのピアノで琥珀が適当に曲を奏でた時
貴方もそれに合わせて歌い出したんだよ。
その時のことを私は今も憶えてる。
凄く温かくて、凄く心地よくて、何かに包まれているようなふんわりとした優しい気持ちになれたの。
空気中を光の精が舞ってるみたいに、キラキラした何かが私の心を捉えて離さなかったの。
窓辺には沢山の鳥たちが集まって来て、大人が不思議がってたけど、全然不思議なことじゃないの。
それは貴方と琥珀の力なんだって思ったから・・・・
    
2人して学園祭シーズンは引っ張りだこで、ステージに出る前
アジェ・クオド・アジス (頼むぞ)
 
って言い合ってたよね。
あとからそれはラテン語だってわかったけれど・・・・・
何を言っているのか?どういう意味なのか?随分長いこと教えてくれなくて、マネージャーとしては悲しかったな。
私はてっきりそのまま2人のデュオが続くものだと、勝手に思ってたんだけど。
芸術大学に進み、そこで貴方が選んだのは彫刻だった。
もっとも、その頃私は九州に引っ越してたし、琥珀は琥珀で本格的にミュージシャンを目指すことになってたし。
だから高校を卒業した私は、そのまま実家の手伝いをすることにしたんだ。
だって、琥珀のことも湧泉音のことも私なりに応援したいじゃない?
いつか、琥珀の舞台の演出を湧泉音がやって、私がオペレーターをするの。
当然、湧泉音はゲストで歌わなきゃダメだよ。
そして、幕が開くその前に2人であの言葉を交わしあうの。
  
その時は私も側にいるからね。
三つ子みたいに
今朝もまた、たっぷりのシナモンにたっぷりのグラニュー糖をまぶして、口の回りを茶色に染めている湧泉音。
「・・・・・どうしたの?・・・」
「飽きるってことを知らないんだね。ゆねは」
「・・・・何が?・・・」
「いえ。一つのことをとことん極めようとする貴方は立派だと思います」
「・・・・ありがとう?・・・」
                            
早くて明日。
遅くとも明後日には2人だけのこの静かな朝の一時が終わる。
琥珀がこちらに来ると解ってから、大急ぎで部屋を片付け、来客用の布団を実家に取りに行き、二段ベッドの下に備えた。
琥珀までもが来ると聞いて、パパもママも笑いはしたものの、さして驚きはしない。
・・・・三つ子みたいなものだから。
とママは静かに言った。
親同志の間ではすでに了承済みで、ドイツに里帰り中の琥珀のパパとママから国際電話はかかるし、湧泉音パパにいたっては、温泉巡りのついでに琥珀に会いに来ると言う。
普通、実の子供に会いに来るものではないかと思うのだが、その話をしても湧泉音の反応は鈍い。
せっかく美大に進んだものの、休みがちな湧泉音にパパの思いは複雑なのかもしれない。
「ゆね。パパと上手くいってないの?」
「・・・・・別に・・・・」
ゆねったら。本当に自分のパパのことになると素っ気ない。
それでなくてもだんまりなのが余計に悪化するみたいだ。
かと言ってパパとの間が険悪と言う訳ではないんだよね?
多分・・・・・・