無題ドキュメント 90
世界のバランス
防災サイレンに続いて、けたたましく消防車が行き過ぎる。
すれ違いざま茅乃は、それが天花達のいる倉庫の方角であることに気が付いた。
どうしよう・・・・
茅乃の様子を察したのか、夫がすぐさま天花に電話をかけて無事を確認している。
「100m程先の廃屋で不審火騒ぎみたいだよ・・・茅乃?」
茅乃の中であの日の空が蘇る。
春とは名ばかりの重い冬の色を湛えた3月の空。
翔子 琥貴 泉 
3人の尊い命を奪った紅蓮の炎。そしてその火を放った男は逮捕後獄中で何を考えたのだろうか?
入院中の父親を見舞いに行って不在だった母親は生き残り、茅乃の大切な友はこの世を去った。
娘の死を嘆くより、自分の住まいが消失したことへの怒りが先に立つ母親に、茅乃は不快感を覚えたものだ。
不意に訪れる愛しいものの死。
                
普通ならその喪失感に呑み込まれてしまうのではないだろうか?
茅乃が会ったことのない翔子の2人の子供は、生きていれば天花達より少し上だ。
神は時に無慈悲な行いをする。但しそれは人間の勝手な了見で、生きると言う最大の苦しみから、穢れなき魂を救い上げているのかもしれない。
そうやって世界のバランスをとっているのだろう。
ある日、夫が言った言葉だ。
善い行いをする者だけでは世界は成り立たない。
悪い行いをする者だけでも然りだ。
あまりにも清く美しい魂は悪魔も目ざとく見つけ出すから、手折られぬうちに神の手で摘まれてしまうのではないか?と。
遺された者の嘆きと自責と悔恨の念。
そんなものにはお構いなしに、召し上げられた魂は永遠の安息を得られるのかもしれない。
それでも今この時に、娘が突然目の前から永遠に姿を消してしまったら・・・・・
茅乃は小さく身震いをした。