無題ドキュメント
夢の終わり
「翔子!!」
茅乃は思わず叫んでいた。
狐火行列の中に翔子を見た気がしたのだ。
無論、翔子であるはずがない。
狐面を着けた人々は老若男女の区別はついても、一人一人の顔までは見えない。
けれど、確かに翔子だった。
赤ん坊を抱え、小さな男の子の手を引き、穏やかな雰囲気の翔子がその中にいた。
「翔子・・・・」
見間違いかと思い行列を追ってみたものの、それらしき姿は何処にも見当たらない。
狐面の下の翔子は子供の頃のあの無邪気な笑顔に見えた。
つないだその手を離さぬように、必死に歩く男の子もずり落ちそうな面を支えて笑っていた。
今は・・・幸せなのね?翔子?
              
涙で景色が霞み、夜店の灯りがオレンジに滲む。
茅乃は翔子から許されたのだと、その時ふと思った。
     ~イキナサイ~
穏やかで優しい中にも力強さを感じるその声に、背中を押されて湧泉音は光の中へ一歩踏み出した。
と、そこで目が覚めて夢の声を反芻しながら、しばし物思いにふけるのがこのところの朝だった。
行きなさい、と言われたのか?
生きなさいだったのか・・・・?
もうすぐ翔子達の命日だ。
琥珀は今日の最終便でこちらに来ると言っていた。
あれから何とはなしに、命日に秋葉神社に参ろうと言う話になったのだ。
無論、本来なら墓参りするべきところだが、そんなものは無駄だろうと言う琥珀の意見に従った。
3月に入ってしばらく暖かい日が続いていたが、今夜から季節はずれの寒気団が南下してくるらしい。
ところによっては雨か雪が降るとか。
          
案外と琥珀は嵐を呼ぶ男なのかもしれないと、シッカと二人でひっそり笑いあった。
                
夢はもうずっと光の中に包まれたものだ。
熱くも苦しくもない、ただ静かに光の中に居る。
暗闇に押しつぶされそうな感覚をしばらく味わい、やがて思い切って光の方に向かうと一旦そこで目が覚める。
次に見た時はもう光の中に居て暗闇は姿を消していた。
今日初めて姿なき人の声を聞き、また一歩前に踏み出した自分がいる。
否、人と言うのはおかしいのか?
或は神と言った方がいいのか?
琥珀ならそんなものどっちでもいいじゃないか、と笑って言うだろう。
もう、この夢の続きは見ないかもしれない。
湧泉音は何故かそう思う。
同時に何かが自分の中にすっと落ちたような気がして、もしかしたらあの夢は生まれ変わる前のものなのではないか?と考えずにはいられなかった。
                 
子供の頃から悩まされていた悪夢に終わりが来たのだ。
そしてそれは新たな始まりでもあった。
       
夜の帳の中で
「やっぱ、赤ベースだろ?」
「・・・・白ベース・・・・がいいと思う」
「銀色も良くない?親分狐ぽくって?」
「もよこ・・・お前は可哀そうだけど顔がデカすぎてお面が合わねえよ。家でおとなしくしてろ!」
「・・・もよこ・・・ダンボールで・・・作るよ?」
「ああいじけちゃった。琥珀の言い方はないよねえ?」
「俺様は真実を言ってんの。まろざらし~お前はそのまんまで十分いけるよなあ」
                     
「こらこら、嫌がってるでしょ!」
           
「よ~しもう一度、ルートの確認ね」
「俺は西からユネは東。シッカは途中で交代するのか?」
「多分、サッチン先輩が間に合うはずだから・・・スタートから行けると思うよ」
「・・・・7時集合・・・7時30分・・・行列開始」
「んで大体30分位ゆっくり練り歩いて、8時に鳥居前に集合だよな?」
「子供の参加者も多いから、列からはみ出ないように気をつけて」
「歩行者天国は?っと、ここからここまでだな」
「・・・何故?・・・南はないの?・・・」
「そうだよな?西と東。シッカは北からだろ?考えたら南だけないんだよな」
「南は火の方角だからなんだって。秋葉神社は火伏の神様でしょ、そこに火を連れて行くわけにはいかないって、最初にパパが計画した時おじいちゃんが言ってた」
「へえ~火の方角ね。縁起がよさそうなのにな」
「そう思うでしょ?南向きに寝るとお札が燃えて貧乏になるとか、頭に血が上ってケンカが絶えない家族になるんだって」
「うへ~、おっかねえな」
       
南を除く3つの方角から遠目にもゆらゆらと提灯の淡い灯りが見え隠れする。
陽が落ちたとは言えまだ仄明るい。
夏の名残をまとったまま、狐達の神秘的な夜行が始まった。
考えたらこの行列を、いや神社の秋祭り自体、見に来るのは初めてではないか?
現会長である茅乃の父親が始め、帰って来てからは夫が引き継ぎ、手伝いこそはするものの、こうやってわざわざ足を運ぶことなど今までなかった。
翔子が死んでもうすぐ20年になる。
うつむいている間に月日は足早に過ぎて行く。
今日を逃すとまたしばらくはここに来られないような気がして、天花達3人が先導する狐火行列だけでも見ようと、重い腰をあげた。
「行列が来たぞ!」
誰かの声で我に返り、茅乃はじっと目を凝らして見つめ続けた。
薄明かりの中、狐の面を着けた人々の群れが静かに滑り込むように境内へとやってくる。
そんな・・・ばかな。彼女の目が釘づけになった。
ざわめく心
祭り会場は人の波でごった返していた。
 
昼過ぎからステージの上で、地元有志のバンド演奏やカラオケ大会に早食い競争、神楽に太鼓の競演などが行われ、それらを楽しむ人々が入れ替わり立ち代わり訪れている。
いよいよ日も傾きだすと狐火行列に参加するメンバーが、思い思いの衣装を着て本部テントに集まって来る。
「提灯と狐面は行列終了後に回収しま~す」
「代表の方はお弁当を取りに来てください!」
「・・・ルート確認・・・・もう一度・・・しま~す!」
琥珀も湧泉音もてんてこ舞いだ。
私は制作進行が手一杯で、2人のカバーどころの話じゃない。
「ああいやそれはこっちの担当じゃないんっすよ!」
「迷子?・・・・ああ天花・・・ḾCさんに・・・メモ・・・渡して!!」
琥珀、湧泉音・・・ごめん!
私は私で忙しいんだよ。
「草加さん!マイクチェックオッケーです!」
「天ちゃん!そっちつないでくれる?」
          
「解りました!!あっ迷子のお知らせあります!」
   
陽が落ちると同時に行列の先の御神灯が灯った。
いよいよ狐火行列が厳かに始まる。
途中からヘルプで来てくれたサッチン先輩に後をお願いして、私達はそれぞれの行列に加わった。
夕べも遅くまで狐面や鳴り物の仕分けに追われ、テンションの高いままここまで来てしまった気がする。
最も遅くなった原因の半分は、自分達が被る狐面はどれが似合うか?と言った実にたわいもないことだったけれど。
生きている、生きて行く
琥珀やシッカはどう思っているのだろう?
今日また不意に前世の記憶が琥珀の中で蘇ったわけだが、それらについて深く話したことはない。
意図的に避けているようでそうではなく、今までと何かが変わったかと言われれば何も変わってはいないと思う。
あれ以来悪い夢は見なくなった。
変わりに暗い闇の中でじっとしている感覚に襲われるのだが、突然眩い光が射しこんで終わる。
日々その夢が変化し、最近は光に導かれる方向へ歩き出して、そこで目が覚めるのだ。
心の準備が出来ないまま、急に扉が開いて中に入ってしまったような戸惑い。
或は、まだ開いていない扉のノブに恐る恐る手をかけたような感じだろうか?
安定した地をまるで崖を這うように進むバランスの悪さを、心の中に仕舞い込んだまま時が過ぎる。
けれど、焦燥感は全くない。
               
むしろ、もっとじっくりこの状態の自分に向き合っていたいような気がするのだ。
9月になれば琥珀は東京に戻ると言った。
けれど自分はもう少しここにいて、翔子達親子の軌跡をたどってみたいと思った。
無論、火事で焼けた家は跡形もなくなっているが、秋葉神社の近くに行くと感じるあの懐かしさを、もっと自分の胸に刻み込んでいたいのだ。
それは自分自身が思うのか?
自分の中の他人が思うのか?
そう自問自答する一方で、どちらでもいいのだと考えてもいる。
大学に戻るかどうかはまだ決められない。
けれど創作と言うものはどこにいても出来るものだと信じている。
あの夏休み第一日目のワクワクした気持ちを、もう一度心から感じてみたい。
人生は楽しいものだと思いたい。
生きている、そして生きて行く。
その積み重ねの上に何を得て、何を失うにしても決して後悔をしないように。                       
夢の続き
湧泉音やシッカには黙っているが、火事で焼け死んだ子供の生まれ変わりかもしれないと考え出して以来、夢の続きを見るようになった。
自分は5歳位の男の子で猛烈な炎と煙が迫りくる中、必死になって倒れている母親を起こそうとし、側に居る赤ん坊を抱きかかえて叫んでいる。
子供の頃から見る嫌な夢の続きは、ボンヤリとした中でも生きようともがいて母親達を救おうとする、少年の切実な気持ちが手に取る様に解った。
数日間そこで夢は終わり、泣きながら目覚める朝。
何度目かの繰り返しの中もう駄目だと思ったその瞬間、身体がすっと軽くなり気が付いたら空を飛んでいるのだ。
無論、自力で飛んでいる訳ではなく大きな羽に抱えられるようにして飛んでいるのを感じる。
その空は、シッカの絵の中のようでもあり、二段ベッドに貼った写真のようでもあり、湧泉音が呼ばれると言ったあの空でもあった。
これは俺の願望が現れているのかもな。
          
自分の中に見知らぬもう1人の少年がいる。
        
それは少し居心地の悪いソファに座っているような、妙に落ち着かない気分にさせたが、決して不快な感情では無かった。
秋葉神社で湧泉音とシッカを前に、真実を知った時、後戻りできなくなるのでは?とおののく自分もいたが、今はむしろ淡々と受け止めていると言った方がいいのかもしれない。
案外と大したことないのかもな・・・・
それが正直な気持ちだった。
もし自分がその不幸な少年の生まれ変わりだとしても、自分の生き方を変えるつもりはない。
むしろ2人分の人生と言うものを思い切り生き抜いていこうとさえ思うのだ。
今までと何も変わらない。俺は俺だ。
ただ言えるのは、これまで以上に責任を持って生きて行かなければならないことだろう。
誰のせいでもない、自分が選んだ道を行く以上喜びも苦しみもそして哀しみも、1人で引き受けなければならない。
但し、時折自分の中の少年には問いかけるに違いない。
   
この人生で良かったか?と。