無題ドキュメント 62
忘却の河
人は生まれ変わる時、死の谷を歩き忘却の河の水を飲む。そこで初めて前世での記憶がリセットされ、次に生まれ変わる人生を自ら選ぶそうだ。
最も,湧泉音にしても実際に見たわけではないので本の受け売りなんだけれど、でも人間がそうなら動物も同じではないかと言う。
「日本の三途の川と同じだな。」
「・・・・河は・・レーテー・・・・・渡し守も・・・いる・・・」
「渡し守?ますます三途の川みたい。」
「・・・・カロン・・・って名前・・・」
「オイ!カロンって、俺のバイクの名前はそこから来たのかよ。渡し守かよ!お前のは確かハデスだよな」
 
「・・・・冥界・・・王・・・」
「はあ~?俺のは渡し守でお前は王かよ!逆じゃね?普通」
                          
「いいじゃない。私のだって冥府の番人の名前だよ」
「シッカのはなんつったっけ?ヘ・・・へ、何とかだよな」
「ヘカテ!!」
「ああ!そうそう。お前が中学の時・・・・」
「いいの!そんな昔のこと言わなくて!!」
「・・・・好き・・・だよね?・・・みんなこういう・・・の」
「私のはママのキーホルダーから取っただけだよ。さあお二人さん今日はもうこれで仕事は終わり。秋葉神社に行くよ」
「えっ?今からかよ!」
「・・・・実家・・・行くんだ・・・」
「ハイハイ。そう言うこと!」
うちの会社の経理部門は実家の方にある。倉庫の番人兼居候の身としては、一応家賃と言うものを払わなければならない。
溜まった業務日誌を持って行くついでもある。
この前は死んだ子猫のことで動揺して行かなかったので、今日は何としてでも2人を連れてお参りに行かなければ、またしばらく行きそびれてしまうに違いない 。
神社だって縁がなければ、なかなか参れないものなのだ。
                                                 
「で?本名の久慈院琥珀がいいの?えっと、こっちの、長いな、ええっと琥珀・ディートリッヒ・フォーンリック?ああ、ご両親が国際結婚だからねえ。どっちも本名になるんだ。やっぱりそうなると、K・O・H・A・K・U かなあ?ビジュアル系で売り出すならね」
目の前の石村と名乗るプロデューサーのオヤジは1人でしやべり続ける。
琥珀はいつもの癖で、無意識に膝を揺すっていた。こんな時、隣にシッカが居たら思い切り膝を叩かれるか、あの大きな瞳で睨まれるかなのだが、相変わらずオヤジの話は続く。
「ウゲエ~」
石村が去った後、琥珀は顔をしかめてうぜえと言いかけ、後ろに人の気配を感じ慌てて言葉を濁した。
振り向くと、彼をここに誘った雨池ディレクターが微笑んでいる。
「雨池さん。いつこっちに戻ったんすか?」
                              
札幌出身の雨池ディレクターは、こちらにある本社と札幌にある支社を行き来している。
本人曰く、あまり都会が好きではないのと夏の暑さが耐えられないのとで、もっぱら支社に居る事が多い。
「久慈院君、元気そうだね。石村さんに捕まってたからいつどのタイミングで話しかけようかと思ったよ」
「はあ、芸名をどうしようかって言われて、別に俺、そんなことどうでもいいし。ビジュアル系って何すか?俺は曲で勝負したいんすよね」
「ううん。困ったね。石村さんはやり手だから、任せておけば大丈夫だと思ってたんだけどね。どうやら君を売り出す路線が、君の考えとは違うらしい」
「俺、アイドル目指してるわけじゃないっすもん」
「まあ、大人の事情ってやつだね。いきなり持ち歌で勝負するより、いわゆるアイドル路線で売り出しておいて、実は作曲も出来ますって言う意外性。石村さんはそこを狙ってるんじゃないかな?」
「意外性も何も俺は俺っすから。ただ自分の作った曲を歌うだけで何が悪いんっすか?」
                           
困ったね、と雨池ディレクターは呟き、琥珀の肩に手を置いて軽く叩きながら去って行く。
ボンヤリと琥珀はそんな雨池の後姿を思い出していた。
天花お薦めの稲荷神社に参った所でこの問題が簡単に片付くとは思えない。
「まっ・・・いいか!」
自身に言い聞かせるように、琥珀はドアを開けた。