無題ドキュメント
真実
ぼんやりしていると遠くからサイレンの音が鳴り響いた。
「煙だ!!窓を閉めろ!」
琥珀の声で弾かれるように窓を閉め、慌てて外を見ると100m程先に黒煙が見えた。
風向きでこんなにも煙が流れてくるなんて。
熱くて、苦しくて、息が出来ない。
咳き込みながら3人はそれぞれが同じ思いを感じていた。
この光景は、夢と同じ、これと同じことを知っている!
同時に口を開きかけた瞬間、電話の音で我に返った。
「天花!火事は近くですか?」
倉庫の方向に消防車やパトカーが走って行ったので、ママが驚いて、とにかく電話をして無事を確認してと言うものだからね。
珍しくパパが上ずった声で喋っている。
「廃屋で不審火みたい。物凄い煙で燻されちゃったけど大丈夫よ」
努めて明るくシッカは答えた。
  
パパの様子からママがどれだけ心配したかが解る。火事で失った親友を思い出してしまうのだろう。
            
夕方、顔を出した時ママは少し落ち着いていた。
逆に私達はザワザワした気持ちのまま、それを気づかれないようにするのが精一杯で、まともにママの顔を見ることが出来なかった。
そんな気持ちを察したのか、ママはポツリポツリと亡くなった友人は子供の頃から不幸な生い立ちで、結婚しても夫の暴力に悩んでいた、と言うことを話してくれた。
こちらに帰ってから、子供たちを連れて良く秋葉神社に散歩に行くとも話していたらしい。
 
一番不思議だったのは、戻って来る少し前から白い羽を見かけるようになり気持ちが落ち着いた、と言っていたことだそうだ。
ヘカテのお守りを私に託して・・・・
そこまで言うと後は涙で言葉にならなかったのだけれど、全て聞かなくても私は知っている。
話し合いにやって来た夫の手によって、ママの友人翔子さんは家に火を放たれ子供2人と共に殺されたのだ。
湧泉音も琥珀も沈痛な面持ちでママの話を聞いている。
どんなに苦しかっただろう。どんなに辛かっただろう。

そして、どんなに生きたかっただろう。
皆が沈んだ気持ちになりかけたので、今度の狐火行列を湧泉音と琥珀が手伝ってくれる話を切り出した。
パパもおじいちやんもそれを聞いてことのほか喜んで、ママはちょっと複雑な顔をしたけれど、それでも3人一緒で仲のいいことだと微笑み交じりに呟いた。
本当に君たちは魂の三つ子だね。
パパが帰り際に話した言葉が頭から離れない。
私達は魂の三つ子。
「なあシッカ・・・」
 
沈黙を破ったのは琥珀だった。
「お前ももしかして、火事の夢・・・・見るんじゃないか?」
「お前もって・・・・琥珀もなの?」
「ユネも・・・な」
3人の間に再び沈黙が流れた。
同じ夢を見るけれど、それぞれが別の角度から別の見知らぬ人を眺めている。
終わりのない悪夢なのかそれとも救いはあるのか?
   
狐火行列
白い翼は少し汚れた方がいいのかもしれない。
シッカはふと筆を動かす手を止めた。翼を白くすればするほど違和感があり、そこだけが妙に浮いてしまうのだ。
真っ白で穢れのない翼こそ女神に相応しいとは解っているが、天界の神々の恐れを受け冥府に落とされても尚、気高く凛々しいヘカテには、汚れてボロボロの翼の方が似合うのではないだろうか?
ヘカテさんごめんなさい、怒らないでね。
シッカは違う筆を取り出すとパレットで色を作り始めた。
ヘカテが安産の女神だけだと思っていた時は、翼の色など考えもしなかった。神は案外と人間臭いのかもしれない。
泣いたり笑ったり怒ったり、果ては妬み嫉みと忙しい。
妊婦の守り神から一転、魔女達の守り神になったり、冥府の番人だったり、そして殺められた者の魂を救い上げたりと、ヘカテの翼はどれだけ酷使されたのだろうか?
ケアする暇もないくらいだったに違いない。ましてや美しく着飾って優雅に過ごすことなど、この女神に限ってはあり得ないのではないかと思った。
今はただずっと描きつづけたこの翼がとても愛おしい。
 
「お盆すぎるとさすがに少し秋っぽいな」
「まあね。光や風に透明感が出て来るもんね。気温は相変わらず高いけどね」
「・・・・いつまで・・・暑いの?・・・」
「う~ん?下手すると10月迄暑いかなあ?」
「ゲッ!!マジかよ!たまんねえな、さすが九州。ところで秋祭りってのはあるのか?」
「ハイ!よくぞ聞いてくれました」
「何だ?その白いマスク、いや、お面って言うべきか?」
「・・・狐?・・・」
9月に入ってすぐ神社の秋祭りが行われる。
長いこと絶えていた秋葉神社のお祭りを復活させたのは、氏子でもあるおじいちゃんだ。
ただの祭りでは面白くないと、パパが社長になってからイベント性を持たせることになり、せっかく稲荷神社もあるのだからと狐のお面を被り提灯行列を行うことになった。
それが評判を呼び今では狐火行列が祭りのメインとなって、幻想的夜行が繰り広げられる。
                 
但し、その分準備も大変で狐のお面一つ一つに手書きで表情を加えていかなければならない。
初めの頃はママの役割で、次にサッチン先輩、そして今は私が引き受けている。

「今年は2人が手伝ってくれるから助かるわ!!年々参加者が増えて大変だから」
「ちょっと待て。何で俺達が手伝わなきゃいけないんだよ?ユネはともかく俺は絵心なんかないんだぞ」
「・・・琥珀は・・・無理・・・かも」
「四の五の言わないでさっさと手伝いなさいよ ここのところ夏のイベントが一段落してダラケきってるでしょ?2人とも、まだまだ仕事はたくさんあるのよ」
相変わらず暑いけれど確実に夏は過ぎようとしている。渋々承諾した2人は、いつまでこっちに居るのだろう?
出来ればずっと続けたい3人の夏休み。
それが叶わない夢だとして、せめて狐火行列だけでも一緒に出来るといいのに。
「わかったよ。手伝うよ。」
               
シッカの想いが伝わるかのように琥珀が真顔で返事をする。
「で?いつまでやるんだこいつは?俺様に描かせたらそのうちプレミアが点くかもしれねえな。裏にサインしとくか?」
「・・・・琥珀・・・・」
「その狐火行列とやらに参加出来るのか?結局この前の盆踊り大会はマイクスタンド運びで終わったし、まあ花火は真上に上がったけどな・・・それが終わったら俺は東京に帰るから」
「そう・・・だよね。いつまでも琥珀はこっちにいるわけにいかないもんね。ゆねは?一緒に帰る?」
「・・・・解らない・・・・」
「お~い。湿気た面するのは辞めだ。さっさとお面に色付けちまおうぜ。まだ半月あるっつってもこれだけの量だからな」
「・・・・うん・・・・」
下を向いて作業に取り掛かるフリをした。何かしていないとふいに涙がこぼれ落ちそうになったからだ。
琥珀が帰り、そして遠からず湧泉音も東京に戻るだろう。
いつまでも一緒に居られるわけではないと、解っていてもいざ琥珀の口から聞いてしまうと動揺してしまう。
   
強くありたい
魂はいつも一緒だと琥珀がそう言ったのさえ忘れた頃、悪夢が再び訪れた。
そのせいで大学も休みがちになり、心配した母親に追い出される形でここに来たのだ。
ここに来た意味は・・・・魂の欠片を集めるため?
 
それは琥珀も同じかもしれない。
それでは、シッカは何故あの絵を描きだしたのだろう。
琥珀に言った足りない何かを見つけたのだろうか?それとも見つける為に再び筆を執ったのだろうか?
まだ聞いてはいけないような雰囲気が、シッカの横顔に浮かんでいる。
その背景に似た空の写真を二段ベッドの天井に貼り足してみよう。
横たわりながら湧泉音はじっと天井を見つめた。相変わらず妖怪大宴会が行われてはいたが、その騒がしささえ今の湧泉音には心地良く思われる。
・・・独りじゃないよ・・・寂しくないよ・・・
二段ベッドの空から天使が舞い降りてくる。
湧泉音は白い翼が自分を包み込むような気がしていた。
仰向けになり考え込んでいるようにも、眠っているようにも見える湧泉音を琥珀はそっと仰ぎ見た。
もよことまろざらしと言う人ならぬ者達との宴も、ここに居る限り自然に思える。最近では、彼らの友達だかなんだか知らないけれど酒の肴目当てに、ベランダには近所中の猫達が集まっている。
サファリパークか?ここは・・・・
そう言いながらも琥珀自身は楽しくて仕方がなかった。
石村プロデューサーに対する怒りも、デビューに対する悩みもどうでもよく思えた。ただ一つ夢のことを覗けば・・・
湧泉音が創作活動を休んでいるように、自身も新しい曲のイメージすらない。
シッカだけは一歩前に進もうとするかのように、毎日、毎晩カンバスに向かい続けている。
1人孤独に、何かと戦うように。
今までの泣き虫で甘えん坊の彼女とは少し違う。いや、湧泉音もそうかもしれない。
「止まってるのは俺様か・・・」
ノンアルコールのビールがやけに苦い。
  
小さなころからピアノを奏でるのが好きだった。
即興で作った曲に湧泉音が即興でハミングしてくる。俺達の観客はいつもシッカ、そして窓辺に集まって来る鳥たち。
何も恐れず、何も望まず、あれ程自由だった心は今目に見えない色んな枷をつけてもがいている。
薦められるまま音大に在学していれば、まだ呑気に過ごす時間の猶予があったかもしれない。
しかし、両親の望む姿は自分がなりたいそれではないのだ。
ではどうしたいのか?と自問しても答えは出ない。
俺がここに来たのは・・・・?
3人でいたあの頃の自分を取り戻す為なのか?
シッカとは離れていても繋がっている自信があった。湧泉音とは繋がっていて当たり前だと思っていた。けれどあの時、湧泉音が側にいないことで自分の中のバランスが崩れたような気がした。
要はあの2人と一緒にいたいのだ。従兄弟離れ出来ていないのは、自分も同じだと少し可笑しくなった。
          
強くありたい。自由を手に入れる為には、誰にも何も言わせないくらいの圧倒的強さが無ければならないと思った。
空の影
「だから言ってやったのよ。昔書き始めた時にずっと見てたじゃない?って。その続きなんだから当たり前でしょ?って」
「・・・いや・・・多分・・・そうじゃなくて・・・」
「ゆねはどう思うの?」
「・・・魂の・・・翼?・・・人は自由じゃない・・・だから自由になりたいって・・・翼を・・・・・って・・・そうも取れる・・・かな?」
「そうだね。生きるって色んな柵の中でもがいてるようなもんだからね。でも、自由って不自由だと思わない?」
「・・・琥珀も・・・言うよ・・・それ」
「だって学校を卒業したら、誰からも何も言われなくなるじゃない?パパとママは別よ。親だからね。でもあとはもう自分の好きにしていいわけじゃない?するとそれに対する責任も自分で取らなきゃいけないわけでしょ?そう考えたら、子供の頃,大人達が作ったルールの範囲で遊んでた方がよっぽど楽しかったなって 」
「・・・・琥珀は・・・自分の足で・・・立てって・・・」
「うん。誰も代わりに自分の人生を生きちゃくれないぜって」
「・・・言うよね・・・」
見る者、聴く者に委ねる点ではシッカの絵も琥珀の歌も似ていると思った。
ただ純粋に俺の歌を聴いてくれればいい。
何て感じるかはその人の自由だし、少なくともその時だけは心を自由にして翼が生えてどこにでも飛んで行けるように。
誰も束縛は出来ないけれど、責任も負えない。羽ばたく翼を持ったとしても強くなければ飛べないし、目的が無ければ迷うだけ。
「・・・いつまでも・・・仲良しこよしじゃ・・・いられない」
「えっ?何ていったの?」
聞き返すシッカの問いには答えずに湧泉音はその場を離れた。
俺達3人はいつまでも仲良しこよしじゃいられないさ。でもな心は魂はいつも一緒だよ。当然、別々の人生を生きてるし、代わりに生きて行くことは出来ない、でも手助けは出来る。だからちゃんと自分の足で立ってくれないと一緒に溺れるわけにはいかないだろ?
そうだ。琥珀はそう言ったんだ。 
何故?今まで忘れていたんだろう。
いつも3人で離れたことがないまま高校まで一緒だった。
やがて、シッカが九州に帰り、卒業すると琥珀とも中々時間が取れず、1人家のアトリエに籠ることが多くなった。
いつしか口癖のように仲良しこよしじゃいられないと呟きだしたのは、自戒を込めてのことだったのだ。
外に出た瞬間、不意に夏の陽射しが湧泉音を捉えた。上空を影がよぎり、バサリと羽音が聞こえたような気がした。
                                             
「すげえ!デカイな!ん?ユネどうした?幽霊でも見たような顔してるぞ」
「・・・・鳥?・・・」
「ああ、鳶か鷹か何かは知らねえけどデカイ翼だった」
「・・・ヘカテ・・・翼・・・」
「えっ?ああシッカの絵か。何かさあ、あの絵の中に人は描かれてないのに自分がいるような感じがするんだよな」
「・・・琥珀も・・・思うんだ・・・」
「ってことはユネ?お前もそう感じるわけ?」
「・・・自分であって・・・ない・・・あの嫌な・・・夢の続き・・・みたいな・・・でも・・・」 でも?」
「・・・凄く・・・安らかな・・・」
                         
絵の中の翼
シッカに問われるまで自身、気にもとめていなかった。
ただ何となく周りが受験体制になっていき、同時に琥珀の曲が動画で評判を呼んだことからデビューが決まり「迦具土(かぐつち)はどうするのか?」と担任から聞かれた時、思わず美大を受けると答えてしまったのだ。
琥珀から一緒にやらないか?と誘われたけれど、人前に出ることが嫌いな自分には考えられない事だと思った。
琥珀の歌声にそっとかぶさるように、決して邪魔しないように寄り添いながら歌うからこそ、学園祭程度ならやることが出来たのだ。
美大の受験は思った以上に大変で、それらに追われるうちに何時しか歌を忘れ、琥珀とも会う時間が少なくなっていった。
それでも卒業するまでは互いに行き来すれば、顔を合わせていられたのだが、遠く離れたシッカといい琥珀といい、それぞれが自分の道を模索し歩きはじめる時期だった。
とにかく、自分より大きくて重くて大変な作業がしてみたい。
無精者の自分にしては大冒険だと思えるくらいの選択で、彫刻科を選び、物言わぬ石や粘土や木と言った素材と格闘することが意外と自分に合っていることに気が付いた。
                        
素材にもそれぞれの個性があり性格もある。
何より素材自身が言葉を語り謳うのだと教授から聞かされた時は、何だか自分達3人のことを言っているようだと思った。
木の温かみはシッカであり、粘土のしなやかさは琥珀であり、テラコッタの脆さは自分だと言い聞かせ、まるで2人が側にいるかのように会話をしながら制作に取り組んでいた。
そんな湧泉音独自のやり方が教授に一目置かれると同時に、反発する同級生も出て来た。
「おい、これお前だろ?」
ある日数人の学生が湧泉音を取り囲み、琥珀と僅かに映る自分の動画を指し示した。
「何だよ、このチャラチャラした奴は?従兄弟か。じゃあお前も芸能界デビューすりゃいいんじゃないか何でこんなとこでお高くとまってんだよ?」
あからさまな悪意というものに直接、晒されたのはこれが初めてかもしれない。
子供の時から何かあってもシッカや琥珀が跳ね返してくれていた。 嫌な夢を再び見る様になったのはその時からだ。
どっこいしょ。
湧泉音が後ろの椅子に腰かけたのが解る。
まったくいちいちどっこいしょって言わなきゃ行動できないのかね?年寄じゃないんだから・・・・
筆を持ったままシッカは湧泉音を睨みつけた。
「・・・・何?・・・・」
「別に、ただ年寄くさいって思っただけ」
「・・・・ごめん・・・・」
「いいよ」
シッカは再びカンバスに向き合い筆を動かし始めた。
その動きを見ているうちに、何処かでこの絵と同じものをみたような気がして、悪いとは思いながらもシッカに話しかけていた。
「・・・羽・・・だよね・・・ヘカテの?・・・」
「うん。まあね、ヘカテの翼って言うタイトルではあるけど、見る人によって違う解釈があるといいなって」
「・・・違う・・・解釈・・・」
「琥珀は、またデジャブだとかなんとか騒いでたけど、この絵にじゃなくて絵の中の翼に何か見覚えがあるって」
「・・・・・・・見覚え?・・・・・・・」